バイク遍歴 その9(Monster 1200S)

ドゥカティsport1000s とてもかっこ良いバイクでした。排気量も1000cc以上あるし、2気筒なのでゆっくりトコトコ走れるかなと思っていましたが、下のトルクが太くなく、イメージしていたようなバイクではありませんでした。どちらかというとバイクが、もっと回せ!回せ!と急かしてくるようなそんなバイクでした。曲がる時も、基本的に自分はへたっぴーなので極たまにですが、ツボにはまるとスパッと鋭く曲がる、これがドカティか!?と感じられました。燃料タンクが樹脂製で空冷のバイクなので軽かったですね~。しかし、大きな問題があったのです。それはポジション、いわゆるカフェレーサースタイルなので前傾がキツいのです。首とか腰とかが辛いのはもちろん視認性が悪いのは乗っていてちょっと怖かったです。そんなこともあって、確かに磨くためのバイクと思って購入したのですが、あまりに乗らなかったのでバッテリーだめにして交換、どんなもんかなぁ…と思うようになってきたのです。丁度そのころmonsterの新型出ることを知ったのです。雑誌にはインプレがさかんに載るようになってました。スペックは、スイングアームが片持ちでブレーキは当然ブレンボABSで、Sタイプはオーリンズのサスペンションも入っていて、なんと言っても日本仕様はシート高が低い!メーターがフルデジタルと言うこと以外は私の欲しいスペックが満たされている、そんなバイクでした。即断というわけではありませんでした。ディラーに実車が入ってきて、何度かまたがってから購入を決めました。

バイク遍歴 その8(Sport 1000 S)

夕張時代の同僚がライダースマガジンを定期購読していてよく見せてもらっていました。ライダースマガジンとかは写真もきれいで、外車もかっこいいなぁとか思ってました。外車の販売店もポツポツ札幌にもできてきた頃の話です。そんな店もちょいちょい覗いてみたりしていました。手稲にドゥカティの店とかトライアンフを扱っていたサイクロンさんとかあってカッコ良いなって思って見てました。丁度ドゥカティのモンスターが出た頃です。レッドバロンで上野さん(もと二輪館の専務です)との雑談の中で外車について聞くと、昔はトライアンフの3気筒に憧れとかあったけど今じゃ日本車が一番だよって。MVアグスタなんて酷いから輸入したやつ車検だか排ガスだか通らないから、数台のうちの通る1台を選んで持っていって、ごまかしてやったそうです。確かに性能と信頼性は日本車が一番だと思います。
 何年かたって、家も建てて念願の車庫も手に入れたのは良いけれど、通勤時間が長くなり仕事も忙しい年代になったということもあって、バイクに乗る頻度は著しく落ちていました。ついには乗ろうと思った時にはバッテリーが上がってました。何だかんだでバッテリーをだめにして交換、なんてしてました。そんな頃、36号線を車で走ったときにドカティの正規代理店「DUCATI 札幌」を見つけたのです。しばらくは通り過ぎるだけだったのですが、ある日ちょっと覗いてみようかと思いました。するとどうでしょう数年前にライダースマガジンで見たネオレトロのsportとかGTとかが並んで居るではありませんか!?もうガンガンバイクに乗るわけでもないし、バイクを磨いて楽しむのも良いんじゃないかと考えました。Z-1000の下取りも思いのほか高く取ってくれるというので決めちゃいました。Ducati sport 1000s 真っ赤なドゥカティです。

納車の前に箱から出すところに立ち会いました。

バイク遍歴 その7(Z-1000)

あれはコーチャンフォーの新川店だったと思います。バイク雑誌を立ち読みしていたら、とても魅力的なフォルムのバイクが載っているではありませんか!?それもあの欲しかったけど買えなかったZANTHUSによく似た形、カワサキのニューモデルの記事でした。ZZR-1100を購入したシマズモータースさんとは、購入しただけのお付き合いでした。そして、これも巡り合わせなんでしょうか?レッドバロン八軒店にGPZ400Rの時にお世話になっていた二輪館の専務だった上野さんが居たのです。ヤマハオートセンターは当初札幌市内には白石の12号線沿いの店一軒だけだったのですが、十数年の時を経て札幌市内に数店舗、レッドバロンとなっていました。たぶん市内の店舗を増やす際に既存のオートバイ店を吸収したみたいで、二輪館もその一つだったみたいです。
 その頃の記憶があいまいなのですが、札幌を離れていたことや二輪館も無くなっていたこともあって付き合いのあるオートバイ店が無かったのです。12号線沿いにあったカワサキの店も無くなっていたし、東区にあった老舗のカワサキの店とは接点がありませんでした。石山通沿いの陸王さんで買うってことも考えなかったです。オートランドさんも同じくだったです。やっぱり「人」とのつながりですよね。顔なじみの上野さん(レッドバロンの相談役みたいな立場だったとおもいます)から買おうということになりました。それが、現行のZシリーズの始まりでもあるストリートファイタータイプのZ-1000です。ZZR-1100を下取りに出して、マレーシア仕様のZ-1000を購入しました(正規の日本仕様ってあったのかなぁ…)。今でもバイク選択の悩みでもある足つき。ノーマルだと足先ツンツンだったのでローダウンを考えたのですが、レッドバロンさんは車外品の部品は取り次いでくれなかったので自分で色々探して手に入れて、それをレッドバロンさんで取り付けてもらいました。
 Z-1000はZZR-1100と比べ軽く、取り回しも楽で、乗り味も軽快でした。デザインも当時は珍しいスタイルだったので、よく「なんてバイクですか?」とか「外車ですか?」って声をかけられました。そうこうしている間に苫小牧へ転勤となりました。Z-1000の車検の時、代車がSRX-400でした。単気筒の400ccなのにトルクの無さ、非力さを感じました。やはりリッターバイクのパワーっていうのは大きいのだと実感しました。その分、取り回しはSRX-400は楽でしたねぇ。友人とも話したものですが、大型車は3速に入れちゃえばオートマみたいなものだと、あまり細かくシフトを考えなくても大丈夫だと。そういう意味では大型車の方が、運転している分には楽なんですよね。Z-1000時代、確か写真を写したはずなんですが、ネガが見つかりませんでした。まぁ微妙な時期です、ガラケーにカメラはついていたけど、その写りはたいしたことなくて。まだまだ、フィルムカメラの方が写りが良かった時代、でもフィルムを現像してもらう時にCDにも焼いてくれました。このころコンデジは持ってたので、そっちにデータ入っているかなぁ… って感じです。

バイク遍歴 その6(ZZR-1100)

大型自動二輪免許を取得して半年くらいは思いとどまっていたのですが、やっぱりオートバイが欲しくなり中古車情報誌を何ヶ月間か買って捜していました。どうせ大型乗るのなら速いやつがよいなぁと考え、公道では出すことはないけれど200Km以上出るスペックのバイクを捜しました。ブラックバードや隼も考えましたが、カワサキ党だったのでZZR-1100に狙いを定めました。当時、雁来にあったシマズモータースで外装のきれいなやつを見つけリッターマシンデビューとなりました。ウエアとグラブ、ブーツは「ペアスロープ」で購入、私のバイクライフの第2ステージが始まりました。さすがでしたね!加速がすごい。フルカウルの防風性能も相まって高速域での安定性は抜群、○○○kmからの加速はまるでワープのように一気に先導車が近づいて来る感じでした。但し、町中とかでは車体の重さもあって若干持て余しぎみ、オーバースペックですよねぇ~。

当時はガラケーのカメラで撮ったので画像が粗いです。

バイク遍歴 その5(所有無し)

厚岸町に行って2年目くらいに念願だったレガシィを購入したころぐらいからKDX125に乗る機会がめっきり少なくなり、乗らない間のキャブレターのガソリン抜きを怠ったためにエンジンがかからなくなりました。キャブレターは修理してもらったけれど、しばらくしたら釧路市のバイク屋に売ってしまいました。翌年には夕張へ行くことになり、オートバイを持っていない期間が何年か続きました。夕張での生活も4年目になったくらいの時、やっぱりバイクが欲しくなって中古車情報誌をあさって、さがしたのはXANTHUS。室蘭市まで見に行きましたがその個体は状態が芳しくなく、その後しばらくはXANTHUSを捜していたかと思います。そうこうしているうちに大型自動二輪の免許が教習所で取れるようになりました。仲の良かった後輩がその何年か前に、がんばって限定解除してV-max買ったのも刺激になっていました。夏休みで帰省していた時に何の気は無しに(そんなことも無いとは思いますが…)、近くにあった教習所を訪ねてみたのです。費用がいくらくらいかかるのか聞くつもりでした。まとまったお金も無かったし、お金貯めてから通おうと思ってました。しかし、そこでクレジットカードで支払いができることを知った時、私は入校の手続きをしてました。しばらくオートバイに乗っていなかったこともあって大型の教習には手こずりました。乗り方の違いを一番感じたのはスラロームでした。教習車はCB750だったかと思います。卒検は、クランクで足をついてしまい、自分で検定中止だと思い込んで諦めてしまったので不合格。二回目の卒検で無事合格できました。とりあえず免許だけ持っておくつもりで取った大型自動二輪免許、そのとりあえずがそう長い期間で無かったことはなんとなくおわかりいただけるかと思います。

バイク遍歴 その4(KDX125)

さて、400の宿命「車検」です。GPZ400Rを2シーズン乗って、翌年は車検だとなりました。たぶん、具体的に見積もりを出してもらっていたら考えも違っていたかもしれませんが、当時は車検には莫大な費用がかかるイメージを持っていまして、どうしようかと思っていました。そんな時、バイク屋さんが「GPZ400R売らないかい?」と声をかけられたのです。バイクブームもあり中古車の球数が不足していたのでしょうか、「高く買い取るよ」とささやいてくるのです。「ぼんじん」のマスターに相談すると「125ccが車検もないし、任意保険も安くなるから。使える馬力だって125ccで充分。たぶん差額でお金も戻って来るから自転車かいなよ」と。
 GPZ400Rを下取りに出しまして、Kawasakiのオフロード「KDX125」を購入しました。維持費の安さも相まって、7~8年くらいは所有していたかと思います。でも、どこへツーリングに行ったというわけでもなく、ちょっとした足として使っていました。自分には合わなかったのでしょうか、持ってはいたけれど思い出のあまり残っていないバイクでした。また、その頃は就職してから始めた趣味であるカヌーに夢中だったからなおさらかもしれません。
 KDX125に乗っていた頃だと思うのですが、やっぱり400ccに乗りたいと思っていたのです。レーサーレプリカブームも終盤にさしかかり、Kawasakiのゼファーが発売されたくらいだったかなと思います。欲しいバイクがあったのです、それはKawasakiのXANTHUSです。オートランドの狸小路支店に赤いXANTHUSが展示してあって何度も観に行きました。この思いはけっこう強くて、その後中古のZANTHUSを捜して室蘭市のバイク屋まで見に行ったりしましたし、あるバイクを購入するきっかけにもなったのですがそれはもう少し後の話です。

バイク遍歴 その3(初めてのツーリング)

 GPZ400Rではツーリングにも行きました。初日は、札幌から南下して襟裳岬を経由して帯広まで。当時の日勝峠を越える自信が無かったからと、一度くらいは襟裳岬を観てきても良いかと思ったのですが、歌にもある通り何も無いところでした。えらい遠回りだったと、へろへろになって帯広に着きました。宿は帯広YH(ユースホステル)です。 もう、ミーティングとかの縛りもゆるくなってましたが、9時過ぎくらいからだったか大合唱(海のトリトン)が聞こえてました。早寝をしたかった自分にとってはちょっとうるさかったです。二日目は豊頃のハルニレの木を見てからオンネトーへ、阿寒湖で昼食を取って摩周YHへ。ハルニレの木の下でテント張ってキャンプしている人がいて、写真のじゃまだなぁと感じたことを覚えています。

ハルニレの木


 摩周YHでは食事が良かったことと、宿で知り合った人に、夜摩周湖まで連れて行ってもらって見た、今にも降ってきそうな満天の星空と天の川に感動しました。3日目は親戚の家のある浜頓別町へ。途中は雨にあったり、対向車がせっかく教えてくれたパッシングに気づかず枝幸町でねずみ取りに引っかかったりと気持ちはダウン…。4日目はこれまた幼少期にかわいがってもらっていた遠縁の家のある芦別市まで。途中、神居古潭あたりで雨の中、対向車に頭から水をはねかけられ、何度か視界が無くなり怖い思いもしました。当時はナビなんて無い時代ですから道路地図を頼りに行ったのですが、よく、それまで一度も行ったことがない家を訪ねていけたものだと今考えると不思議な気もします。

オンネトー

摩周湖

硫黄山

バイク遍歴 その2(GPZ400R)

 免許取ったらバイクは欲しくなりますよね?スズキのGSX400Xインパルス(通称東京タワーじゃないやつ、ハーフカウルの着いてる方)はローンを組む直前までいきましたが学生だったので、毎月のローンを支払えるようなレギュラーのアルバイトもしていなかったため、すんでの所で断念しました。もし買っていたなら超不人気の東京タワーより人気がなかったはずでしたら、激レア車を所有していたかもしれません。ホンダMVX250、不人気車だったので安くなるかと思い探しもしました。個体もなかったしあまり安くなってはいませんでした。お金は無いけど欲しくて欲しくてたまらなかったのでしょうね。結局アルバイトをみっちりして約2年後、お金を貯めてからバイクを買いに行きました。買おうと思ったバイクはKawasakiのGPX250Rです。Kawasakiを扱っている店は当時市内にはあまりなかったので、その数軒の中でも家から一番近かった八軒にあった「二輪館」という店に行きました。
 さて、「二輪館」でGPX250Rを購入しようとすると。店の方(当時専務と呼ばれていました)が「GPX250R買うんだったらGPZ400Rはどうだい?安くだせるよ!」とささやいてきたのです。「予算が足りないので無理です」と私、「そんなに金額違わないし、ヘルメットとグローブだったらサービスするよ!」と専務が言ってくれました。実は一番欲しかったのはGPZ400Rだったのです。ただ、予算的に無理だったので現実的に考えてGPX250Rにしようと考えたのです。でもですよ、一番欲しかったのが買えそう、この誘惑に抗うことなど私にはできませんでした。安くなったのはキャンセル車だったということで、キャンセルしたの注文主のリクエストでホイールも換えてメーカーに発注したものでした。
 確かに購入できましたが、予算的にはバイトで稼いだお金が根こそぎ出て行きました。それでも、GPX250Rを選んで、好きなヘルメットやらグローブ、ブーツなんかを揃えた方が資金的にも余裕が持てて良かったのかもしれなかったと思ったのは、ずいぶんと後になってからだと思います。

赤いホイールになってます。オリジナルは黒だったとおもいます。

「COFFEEぼんじん」は電車通り沿いにあった喫茶店で、自転車とバイクで計2回日本一周をしたマスターの店でした。ライダー達のなじみの店で、私も知り合いのライダーから紹介されてから通うようになりました。店の前でバイクと一緒に写真を写してくれて、店を訪れたライダー達の写真の入ったアルバムが店に置かれていました。そんな店もバブル崩壊後、極端に客足が減ったそうで、それでも何年かはマスターがアルバイトしながらも営業していましたが、ある日「店閉めることにした」とマスターが寂しそうに話してました。

バイク遍歴 その1(MB-5)

 私のオートバイ履歴は、友人から買ったhondaのMB-5から始まりました。二十歳くらいのころで自動車の運転免許を取得してまもなくで、当然車も持っていないころでした。中学からの友人が、これまた先輩から譲り受けたMB-5を1万円で買わないかと言ってきたのです。それはトリコロールカラーに塗られていて、確かタコメーターも壊れていました。友人曰く、回転数なんてエンジン音聞けばなんとかなる。まぁ値段も値段だったので購入することに決めました。友人から簡単なレクチャー(クラッチはじわっと離す、シフトのこと、ニュートラルの出し方など)を受けて、私のライダー生活は始まったのです。当時ですからノーヘルですし、軍手をはいて乗っていました。今思い返すと恐ろしいですね… 雨が降ると顔に当たって痛かったことを覚えています。それでも若さですかね、追い風、若干の下り勾配の道でメーターが動かなくなるまで試してみたこともあります。生活の足として2シーズンくらい乗って、友人に売り渡しました。
 記憶が曖昧になってますが、MB-5を乗っていた頃に中型自動二輪の免許を取りに行ったかと思います。記憶に残っているのは、知り合いに新川の近くにあったダートコースに連れて行ってもらったこと。装備一式貸してもらってスズキのオフロード車(保安部品無し、ナンバーの取れないやつ)80ccに乗せてもらいました。モトクロッサーは音大きいけれど、馬力も強くて80ccでも手に余すくらいでした。コースを走らせてもらいましたが、当然ブーツも借り物で、走っているうちに何速に入っているかわからなくなり、シフトダウンもままならず、ギャップをジャンプするかクッションで乗り切るか迷っているうちに飛んでいきました。転倒して打撲とか擦り傷とかたくさん作りました。その数日後に自動車学校に入校して、最初の教習でのバイクに引き起こしとか取り回しとか足が痛くて辛かったのを覚えています。

EPSON MFP image
EPSON MFP image

台北旅行 その5

今日は「指南宮」へ行こうと思い猫空ロープウェイに乗りました。平日だったのですが、ロープウェイの駅前は長蛇の列、90分待ちの表示がありました。実際は一時間も待たずに乗れました。以前も乗車したことはあったのですが、すっかり忘れてしまっていて乗車チケットを購入しようと「悠遊カード(EasyCard)」を出したら係の人に直接乗れる旨教えられました。残高が心配だったのですが、「悠遊カード(EasyCard)」はマイナス支払いが可能だったことを今回改めて確認できました。猫空ロープウェイだと床面がガラス張りの「クリスタルキャビン」もありますが、一度乗ったことがあるので今回は普通のやつに乗りました。

「指南宮」は台湾道教の総本山だそうです。自分の生まれ年の神様がそれぞれいらっしゃって、まずは本殿でお参りしたあと自分の神様をさがします。自分は今年で還暦なので神様も「太歳」のたすき(?)をかけていらっしゃいました。家族の生まれ年の神様もさがして、お参りをし写真を写してきました。

天気もよかったので、台北101もきれいに見えました。ここも台北のパワースポットらしいですが気持ちの良い場所であるのは確かです。ここも含め台北には何カ所かパワースポットがあるので、台北パワースポット巡りも旅行の良いテーマになりますよ!
1人だったので、猫空まで登ってお茶するのもなんだなぁと思い、そそくさと台北市内へ戻りました。

台北最後の晩餐は双連の「小良絆ー涼麺専門店」で涼麺を食べ、近くのドリンクショップでタピオカミルクを飲みました。涼麺は以前、高雄の六合夜市の並びにあった店で食べた物の方がニンニクのパンチがきいていておいしかったかなぁ…。ホテルへの帰路、ほろほろクッキーで有名な「COOKIE886」を見つけたのでお土産に一缶買いました。ほろほろクッキーは崩れやすいの手荷物必須です。

翌朝、桃園空港へ。帰りは直行便です。また787に乗れたので快適な帰路でした。機内食はエバー航空よりANAの方がおいしく感じたのは日本人だからでしょうか!?
今回の旅は出発の直前に風邪を引き、たれてくる鼻水をかみかみしながらの旅行でした。台湾のコンビニでポケットテッシュを買い足さなければならないほどでした。体力的にも普段より落ちていて、行動量もいつもより落ちていたのは年齢のせいだけではないと思っています。旅行に際しては健康管理も大切だと改めて痛感した旅になりました。割と急遽計画した旅行だったためか、体調も含めバタバタとしてしまった感はあります。でも、今回の台湾旅行で一年間に三回の訪台湾、これで「常客証」の申請ができます。出入国もデジタル化が進み、以前ほどメリットはないと聞きますが、台湾入国の際に専用レーンから入ることができるのは新鮮な体験ができるかなと思っています。(入国審査が早く終わっても、荷物が出てこない問題があるのは難点ですね)